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アナフィラキシーショックについて解説してみました──仲野徹先生『こわいもの知らずの病理学講義』より


新型コロナウイルスに対するワクチン接種がはじまりました。その効果に期待が高まる一方、副反応に対する不安もあります。その副反応である「アナフィラキシーショック」についての関心が高まっていますが、この仕組みはなかなか難しい。仲野徹先生のベストセラー『こわいもの知らずの病理学講義』のなかから、アナフィラキシーショックについて解説した部分を、特別に公開いたしますので、参考にしていただければと思います。


カタカナ医学用語

明治時代、日本政府はドイツ医学を導入することを決定しました。意外と知られていませんが、薩摩藩がイギリス人医師ウィリアム・ウィリスを招へいしていたことなどから、当初はイギリス医学に範をとることになっていました。しかし、医学改革を命じられた、佐倉順天堂塾(現在の順天堂大学の前身)に学んだ佐賀藩医・相良知安は、「独逸は医学万国秀絶いたし」という考えから、土壇場で、イギリス医学ではなく、ドイツ医学を導入することに方針を変更、成功します。

どちらがいいかというのは、難しいところがありますが、おおざっぱにいうと、イギリス医学は実地を重んじ、ドイツ医学は学理を重んじる、という特徴がありました。なので、明治時代にイギリス医学が導入されていたら、日本の医学の歩みは大きく違ったものになっていたことでしょう。

先にも述べましたが、医学を母語で教えている国というのは決して多くはありません。韓国や台湾のように、グローバル化をめざして英語で医学教育している国もあります。それとはまったく違った理由で、やむなく英語やフランス語で医学教育をせざるをえない国々もあります。その理由とは、母語に適切な医学用語がないということです。

economy を経世済民、略して経済と訳した福澤諭吉やphilosophy を哲学と訳した西周などが有名ですが、日本は、ありがたいことに、明治以来、文理を問わず、明治以来、適切な訳語が作られてきました。分子や原子、遺伝子、などというのは、いかにもエレメント的な発想をかもしだす、すばらしい訳語です。

ただ、すべての言葉が日本語に置き換えられたわけではありません。明治以来ドイツ語のまま医学用語として使われている言葉がたくさんあります。カルテ、ギプス、メスなどがそうです。今は、カルテは誰が見てもわかるように書かなければならないようになっていますが、昔は、患者さんが見てもわからないように、がんをKrebs などと、隠語のようにドイツ語が使われていました。

ウイルスもドイツ語由来です。Virus と書いて〝ヴィールス〟と発音するのが、なまったというところでしょう。英語でもvirus ですが、発音は〝ヴァイラス〟です。ちなみに、ウイルスは、陶磁器でできた細菌濾過器を通り抜けてしまうことから、濾過性病原体という日本語名称もありましたが、今では使われることがありません。

アレルギーもドイツ語のAllergie に由来しますが、英語でも似たスペルでallergy と綴り、発音は〝アラジー〟です。このあたりは、ドイツ語由来の和製医学用語に慣れ親しんでいるので、ちょっと混乱したりします。医学の中心がドイツからアメリカに移り、医学用語も英語由来になってきています。
ウイルスとかアレルギーとかだと、よく聞く言葉なので、なんとなくどういうものかがわかります。けれど、適切な訳語がないためにカタカナのままにされていて、ちょっと聞いてもなんのこっちゃようわからん言葉もときどきあります。その例のひとつがアナフィラキシーです。

フランス人生理学者ロベール・リシェは、1902年にイソギンチャクの毒を犬に注射し、どれくらいの量にまで耐えられるかという実験をしていました。中には生き残る犬もでてきます。その犬には毒に対する免疫ができて防御されるようになっているはずなのに、ごく少量の毒を注射しただけでショック死してしまうことがあるのを発見します。

防御(ギリシャ語でphylaxis)が無い、ということで、打ち消しの接頭辞であるaをつけて、この現象を、aphylaxie(アフィラキシー)と名付けました。アフィラキシーというのはどうも発音がしにくい、というので、後に、同じ意味のanalylaxie アナフィラキシーと変更されています。ドイツ語でもAnaphylaxie、英語では微妙にちがってanaphylaxis です。

リシェは、1913年に「アナフィラキシーショックに関する研究」でノーベル生理学・医学賞に輝きます。これもどうでもいい話ですが、リシェは心霊現象の研究でも有名でした。その心霊現象の研究では、霊能者が霊の姿を物質化させたり視覚化させる半物質をさす言葉として、ギリシャ語に由来するエクトプラズムという言葉を作っています。結構、造語のセンスがあったように思いますが、ノーベル賞学者が「とんでも科学」の研究もしていたということで、なんとなく時代が偲ばれます。まぁ、あのニュートンでさえ錬金術の研究をしてたんですから、昔はそんなものだったのかもしれません。

アナフィラキシーショックを引きおこす役者たち

アナフィラキシーの発見以来、100年以上たっているのですから、研究が進み、いろいろなことがわかってきています。現在では、アナフィラキシーとは「組織のマスト細胞や末梢血中の好塩基球から、免疫グロブリンEを介して放出される生理物質によって引きおこされる急性の全身性反応」と定義されます。

と書かれても、医学関係のことを専門にしていない人には何のことかわかりませんよね。原稿を書いていて思うのですが、少し専門的なことを説明するというのはほんとうに難しいものです。上の括弧内のような文章でも、文法的にはわかっても、単語の意味をわかってもらえなかったら、伝えることができないのはあたりまえのことです。言い訳していてもしかたがないので、がんばって説明してみます。

まず、マスト細胞と好塩基球です。どちらも細胞の種類をさす言葉ですが、あまりおなじみではないでしょう。マスト細胞は皮膚や粘膜に存在している細胞で、顆粒がぎっしりつまっています。昔は、顆粒でぱんぱんに肥満しているみたいだということで、肥満細胞と呼ばれていました。私の師匠である北村幸彦先生は、マスト細胞が造血幹細胞に由来することを発見された大先生なのですが、肥満細胞の話をするたびに肥満症と関係する細胞ですかという質問をうけてうっとうしいので、マスト細胞と呼ぶようにされました。偉い先生に不可能はありません。

もうひとつの好塩基球というのは血管を流れている白血球の一種です。血液には、赤血球と白血球と血小板があって、と学校で習ったことがあると思います。赤血球と血小板はそれぞれ一種類の細胞であるのに対して、白血球には、好中球、好酸球、好塩基球、Bリンパ球、Tリンパ球、ナチュラルキラー細胞などの細胞があります。それぞれの細胞の働きは違いますが、ざっくりいうと、白血球は、生体防御、特に、細菌、ウイルスといった病原微生物や寄生虫の排除に働く細胞です。

好酸球や好塩基球って、酸が好きとか塩基が好きとか、ちょっと変な名前だと思われませんか? これはどういう意味かというと、好酸球は酸性の、好塩基球は塩基性の色素によく染まる顆粒を持っている、ということに由来します。ですから、中性色素に染まる顆粒があるから好中球です。昔、試験で、「好虫球」と書いたおバカ医学生がいました。おもろいからまけといたろかと一瞬思ったのですが、やっぱり×にしました。

いくつもの種類の白血球が、生理的活性物質を放出することによっていろいろな反応がひきおこされます。そして、そのような物質──ケミカルメディエーターといいます──にはものすごくたくさんの種類があります。好塩基球とマスト細胞の顆粒はよく似ていて、顆粒に存在する生理的活性物質のうちでいちばん重要なのはヒスタミンです。

マスト細胞や好塩基球が刺激されると、顆粒が放出されて、ヒスタミンの作用が発揮されます。どのような作用があるかというと、血管の拡張、血管透過性の亢進、平滑筋の収縮、粘液の分泌亢進、などです。う~ん、ややこしい、と思われるかもしれませんが、ヒスタミンにはこれだけ多彩な作用があるのだから仕方ありません。

血管が拡張すると血圧の低下につながります。血管の透過性が亢進すると、血管の外へと水分が漏れ出して浮腫になります。平滑筋は、胃や腸といった消化管、気管支などいろいろなところに存在しますが、怖いのは気管支の収縮で、アナフィラキシーに伴って気道が収縮して呼吸困難になることがあります。気管支からの粘液分泌が増えるので、さらに拍車がかかります。

ヒスタミンの作用がよくわかるのは、蚊に刺された時です。蚊の唾液にはマスト細胞からヒスタミンを放出させる成分がはいっています。蚊に刺されてぷくっと腫れるのは、ヒスタミンの作用で血管の透過性があがって、局所的に浮腫になるからです。それから、あのイヤな痒みもヒスタミンのせいです。今度蚊に刺されたら、おっヒスタミンが作用しとる、とか思い出してみてください。

免疫グロブリンEを介した放出ってどういう意味?

ここまでで、「組織のマスト細胞や末梢血中の好塩基球から、免疫グロブリンEを介して放出される生理物質によって引きおこされる急性の全身性反応」の前半部分の説明が終わりました。次は、どのようにしてヒスタミンなどの生理物質が放出されるかです。免疫グロブリンというのも、多くの人にはなじみがないと思われますので、これも説明がやっかいです。

溶血性貧血のところで、異物に反応する抗体について少し説明しました。抗体というのは、異物である抗原に結合するタンパクです。そして、抗体の物質名が免疫グロブリンです。その免疫グロブリンには、免疫グロブリンA、D、E、M、Gの5種類があります。

それぞれに働きが違うのですが、免疫グロブリンEがマスト細胞や好塩基球にいちばん関係のあるもので、顆粒を放出させる働きがあります。マスト細胞や好塩基球の表面には、免疫グロブリンEに対する受容体があって、免疫グロブリンEがいっぱいくっついた状態になっています。そこに、免疫グロブリンEが認識する抗原がやってきて結合すると、受容体を介してシグナルがはいり、細胞から顆粒が放出されるのです。その顆粒の中には、ヒスタミンをはじめとする物質がはいっているので、先に書いたような作用が発揮されます。

免疫というのは、外来の異物に対して生じる防御反応で、免疫反応によって排除される異物が抗原と定義されます。アレルギーというのは、おなじみの言葉ですが、その免疫反応が過剰におきてしまう状態をさします。Ⅰ型からⅣ型まであるのですが、アナフィラキシーに関与するのはⅠ型のアレルギーで、アレルゲンに接して数分で生じるので、即時型反応とも呼ばれます。アレルギーを引き起こす抗原のことをアレルゲンと言いますが、アレルギーもアレルゲンもドイツ語由来です。英語でもスペルは同じですが、アラジーとかアラジェンといった発音になります。

ということで、アナフィラキシーが「組織のマスト細胞や末梢血中の好塩基球から、免疫グロブリンEを介して放出される生理物質によって引きおこされる急性の全身性反応」という意味がわかっていただけましたでしょうか。ふう。繰り返しになりますが、ヒスタミンの作用が一気に発揮されてしまうわけですから、喘息や気道の閉塞による呼吸困難、じんましん、下痢や腹痛、そして、血圧の低下などが生じます。書いているだけで苦しくなってくるような症状です。血圧低下がひどくなってショック状態になるのがアナフィラキシーショックなわけです。

食物や薬剤などが原因になりうることはご存じのとおりです。アナフィラキシーショックの治療には、アドレナリンが使われます。アドレナリンでとりあえず血管を収縮させて血圧をあげてやるのです。なので、アレルギー体質の人でアナフィラキシーショックをおこす可能性が高い人は、アドレナリンを充塡した注射器の携行が薦められています。

時々報道される、ハチに刺されてショック死というのもアナフィラキシーショックによるものです。年間に20~40名とされていますが、多いのか少ないのか、なんともようわかりません。アナフィラキシーショックの場合、ハチに刺されてから15分程で死に至るとされていますから、山の中とかだと救急車などとても間に合いません。もちろんアドレナリンもないし、ハチに刺されただけで致命的になってしまうこともありえますから、気をつけるに越したことはないですね。

cover病理学72

仲野徹『こわいもの知らずの病理学講義』本体1850円