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養老孟司先生「偏見を打ち破る学問の仕事」――『土偶を読む』書評

 

 本書の面白さは二つある。一つは土偶がヒトではなく、植物や貝を象ったフィギュアだという発見、もう一つは素人がほとんどゼロから始めて、大きな結論にたどり着くという具体的な過程である。ぜひ多くの人に読んでもらいたいと思うのは、学問はかならずしも専門家のものではないということに気づいて欲しいからである。日本の現代社会がおかれている一種の閉塞状況を打ち破るような、こうした仕事がもっと様々な領域から出てきてほしいと願う。
 土偶には私はまったく興味がなかった。土偶は人物像だと思っていたので、へたくそな人物像だなあ、でおしまい。そもそも人物像だと思ったのが偏見で、その偏見は、教育もあるが、結局は自分で作ったものだったことに気づかされた。似たような偏見を自分はいたるところで持っているに違いない。それを教えられただけでも、本書を読んでよかったと思う。八十代になって反省しても遅いような気がしないでもないが、気づかずにすぎてしまうよりはいくらかマシではないかと感じる。

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「読む」というのは、脳から見ても面白い行為で、脳には文字を読む部位がある。これは生物学的には不要だから、現代でも文字が上手に読めない失読症が英語圏ではよく知られている。動物的な状態での生活で、文字を読むという行為が意味を持つはずがない。なぜか読む能力が備わってしまい、しかし文字がない時代の人たちは、いったいなにを読んでいたのだろうか。私は星座というのがそれではないかと書いたことがある。読むものがない時代には、星々をまさに「読んで」いたのである。占星術もそこから生じたのであろう。
 縄文人が「土偶を読む」のと、著者が土偶を読むのは、もちろん違うはずである。だから著者は縄文人になろうとする。そうすると、土偶が貝になったり、サトイモになったりする。「形が似ている」だけではダメだから、縄文人の生活とそうした類似を結びつける努力をする。その結果は「当たり」になる解釈が多い。「当たり」が学説として「当たり前」になるかどうかはこれからの研究の進展によるが、著者が全身で縄文の世界に飛び込んだことを評価したい。

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