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養老孟司先生「坂口恭平という、清涼なる薬」――『自分の薬をつくる』書評①

 坂口さんには清涼の気がある。本人も作品も、である。作品は心地よく軽い。今度の本もそうである。坂口さんが医師になり、患者さんの悩みを聞き、薬を処方する。むしろ患者に薬を自分で作らせる。うっかりすると。心の悩みは重たくなる。その解決つまり薬は軽やかで明るい。

 私は日本の世間を八十二年生きてきたが、この社会は根が生真面目だから、どこか重たくてうっとうしい。吉本に代表されるお笑いですら、そういう感じがある。坂口世界にはそれがない。軽く、明るく、さわやかである。

 なぜ坂口さんにはそれが可能なのか。この本にはその秘密がいくつか書かれている。心の悩みと言うと、悩んでいる自分を変えなさいという忠告を受けることが多いと思う。坂口さんはそれを言わない。夢を実現したいけれども、それができない。これはごくフツーの悩みであろう。それに対して坂口さんは、まず周辺を含めて今の自分を一切変えないという条件を付ける。そのうえで望みを実現する具体的な手段を見つけ出そうとする。そんなことできるのか。そう思った人は本書を読むべきであろう。この本自体が坂口さんが医者になりたいと思って、その夢を実現するために創った本なのである。

 坂口さんとは果たして何者か。十年以上前に初めてお会いした。大学では建築を専攻したけれど、段ボールハウスの研究をしていますという話だった。これは私にはしっくりきた。私は空間把握の能力が弱く、設計図が頭の中に描けない。自分が現にいる空間を上から見るといういわば神様目線が気に入らない。だからその目線が取れない。上から見ることができない。段ボールハウスなら、身体に密着しているから、内側からよくわかるような気がする。坂口さんも同じか、と思った。次に熊本でお会いした時は、繁華街の中で坂口さんの作った建物で二人で対談をするという企画だった。その建物は下に車輪がついていた。車輪がついていて、動かせるから、「不動産」ではないという。不動産でなければ、建築基準法に従う必要がない。だから設計がかなり自由になる。これがまさに坂口式である。今回は病院である。医師が坂口さんで患者さんはお客さんである。全体が観客を巻き込んだ芝居である。

 これがなんとも面白い。坂口さんの軽さ、自由さがよく生きている。それ自体が「癒し」として感じられる。坂口さんは絵も描くし、音楽もやるし、詩も書く。しかしこうした「場」を設定するのが上手である。「場のアーティスト」と言っていいのではないかと私は思う。

                     養老孟司(2020年0月14日)