宮崎智之「モヤモヤの日々」連載200回記念対談(後編)――連載にかける思い、ひそかな挑戦について

宮崎智之「モヤモヤの日々」連載200回記念対談(後編)――連載にかける思い、ひそかな挑戦について

毎日更新*の夕刊コラム「モヤモヤの日々」(晶文社スクラップブック)が話題になっています。著者の宮崎智之さんは、昨年12月に『平熱のまま、この世界に熱狂したい 「弱さ」を受け入れる日常革命』(幻冬舎)を上梓。日々の暮らしで生まれるモヤモヤを見つめ、犬と赤ちゃんを愛で、「平熱」の中からクリエイティブを発信する、混沌とした新時代における注目の書き手です。 *土日祝日を除く平日17時に更新。

去る10月19日、「モヤモヤの日々」連載200回を記念したトークがYouTubeライブで配信されました。前回に続く後編では、当連載の編集担当である吉川浩満が連載の文学的な視点や連載に込められた思いについてじっくりと伺いました。その一部を加筆・再構成しお送りします。

後編

詩的言語と連載の文学的な視点

吉川 「モヤモヤの日々」の中で、思い出深いものをもう一編ご紹介するとこれです、「父と中原中也」。宮崎さんといえば中原中也か吉田健一ですから。

「第157回 父と中原中也」――文学は、眉間にしわをよせてやるようなものではないと思っている宮崎。その理由は、父と過ごした幼少期にあった。閉店前夜の「渋谷ジァン・ジァン」で、中也の実弟の演奏を聞いた父と子の話。

宮崎 中原中也に関しては、今日、話が出るかなと思って『中原中也全詩集』を持ってきました。ボロボロで見せるのも恥ずかしいんですけど。

吉川 これすごいですね。角川ソフィア文庫の人がもう一冊送ってくれてもいいぐらいの読み込み方ですよ。

宮崎 中原中也と吉田健一に関して言えば、吉田が中也の初期の代表的な詩「朝の歌」を、「私は大正十五年に書かれたこの中原中也の十四行詩に日本近代文学の誕生を見る」って褒めているんですよ。

連載100回記念対談のときに、文体についての話がありました。僕の書く文章が私小説に近いんじゃないかっていう読者の方からの指摘があり、だけどフィクションじゃないし、どちらかというと写生や写実に近いんじゃないかということを、僕と吉川さんで言っていましたね。

写生については、江藤淳が『リアリズムの源流』の中で論じていまして。坪内逍遥の『小説神髄』や二葉亭四迷の『浮雲』がまさにそうですけど、当時は、言文一致運動の時代。彼らは非常に苦労した。二葉亭は『浮雲』の後、『其面影』を執筆し、最後に『平凡』を書いて亡くなっています。あんなに有名なのに、自分の小説を3冊しか出してないんです。

話を戻すと、中也は19歳で「朝の歌」をなしました。もちろん『小説神髄』なんかよりずっと後の、大正15年に。

天井に 朱きいろいで
  戸の隙を 洩れ入る光、
鄙びたる 軍楽の憶ひ
  手にてなす なにごともなし。

小鳥らの うたはきこえず
  空は今日 はなだ色らし、
倦んじてし 人のこころを
  諫めする なにものもなし。

という文語調の詩なんですけど。

吉川 すごいですね。暗唱ですか。

宮崎 今のはソネット(14行詩)の2連目までの暗唱です。僕、中也の詩は30個くらい暗唱できるんですよ。なぜかというと……それは、「父と中原中也」を読んでいただきたいですね(笑)。

吉川 まさにそうですね。

宮崎 先ほどの詩は文語調ですけど、僕はまったく古く感じないんです。むしろ倦怠感を表現するのに文語が作用している。写生という意味においては、文語もある種のエクリチュールとしていまだに信用できる言語なんじゃないかなと思ったりします。

江藤の論考で刺激を受けたのは、「新しい文体とは、単に新しい表現の様式というにとどまらない。それは同時に新しい認識の回路である」という記述です。結局、人は認識できるものしか書けないわけです。言葉というのは、時代の移り変わりとともに適切じゃなくなり、時代遅れになり、やがて使えなくなっていく可能性がある。一方で、中也の文語詩のように、いまだ強度を保っている言葉もあるし、過去の言葉を完全にないものにすることはできません。できるとしたら、言葉をアップデート、上書きしていくか、運用方法を変えていくか。

言葉が氾濫する今の時代、新しい言葉が次々と出てきて、どんどん使えなくなるスピードが早まるこの時代は、少し二葉亭や坪内逍遥の時代に似ている部分があるような気がします。江戸時代から明治、大正に至るまでの変化に比べると、もしかしたら変化は小さいかもしれない。でも、確実に変化しているし、変化が迫られている。

100年後200年後も残る言葉ってどういうものなんだろうと考えた時に、この連載はそれにチャレンジしていくものだと考えています。描写することで、僕も読者もこの時代をどう認識したらいいのか分かるようになると感じます。

ちょっと話が大袈裟になりすぎたかもしれませんが、その認識を、どう書いていくかというすごく大きなテーマに挑戦しているつもりでいます。そのひとつの仕掛けとして平日毎日というのがあるんです。新しい言葉選びや言葉の運び方などが、僕自身や読者の皆さんにとって当たり前になることが必要かなと思っていて、それはちょい出しじゃ変わらないんですよ。

吉川 そうですね。

宮崎 あと、200回やっているうちに僕の文体もすごく変わったと思います。

吉川 担当編集者として、そういう言葉を聞けるのはすごくうれしいです。

宮崎 とくに僕は、幼少時代は詩歌に強い影響を受けました。「凪」のような、聞いた瞬間に「モヤモヤ」とか「平熱」とか、「宮崎が言っていることってそういうことね」というふうにわかる、日本語独特の飛躍ってありますよね。この連載を、そういう新しい言葉を発明する営みにしていきたいです。

もちろん論文や批評など、積み重ねていき論証するようなものでは言葉の厳密さは必要になりますが、エッセイにおいてはある種の飛躍や認識のズレが単純に面白かったり笑えたりするんですよ。

吉川 なるほど。

宮崎 飛躍させることに挑戦している中で参考になったのが、やっぱり詩的言語でした。日本語って本当に不思議で、理屈がなくてもその言葉の飛躍で納得できるところがある。詩歌からそういうところを学んでいます。

僕は、1回読んで面白かっただけなら、それは情報、回覧板みたいなものだと思っています。同じエッセイを何回も読んでくれている読者の方がいて、Twitterでつぶやいてくれたりし、「全体を通して読むとこう見える」という指摘をいただくこともあります。そういうことを非常に強く狙っている連載なのでうれしいです。これが成功しているかどうかは分からないんですけど、少なくともその路線でなんとか200回も積み上げてきました。ここからさらにどう飛躍させていけるか。

思い入れのある詩人・中原中也について書くこと

吉川 「父と中原中也」を挙げさせてもらったのは、宮崎さんの文学的ルーツと連載の文学的な意味を聞けるかなと思ったからなんですけど、しっかりと話をうかがえました。

宮崎 そういえば、中原中也論が出るんです。25枚ぐらいの小論ですけど。

吉川 雑誌に載る感じですか。

宮崎 赤坂の書店「双子のライオン堂」さんが発行する文芸誌『しししし4』に載ります。

吉川 それは刮目しましょう。

宮崎 中也はすごく悲しい人というか、純粋な人なんですよね。中也の唯一の対談が残っているの知ってますか。

吉川 いや、知らないです。

宮崎 今日、掲載されている全集を持ってきたらよかったですね。対談に参加した唯一の活字が残っていて、皆にボロクソ言われるんですよ。まさに文語のことを指摘され、「文語を使ってるけど、どう考えてるの?」「イデオロギーだろう、それは」みたいに言われていて。

当時、おそらく文語が権威主義的に見えたんだろうなと思うんです。一方、中也はというと「僕はちっとも古典的じゃないと思っています」「それは負けたんじゃない」と反論している。でも、なかなか受け入れられなくて、そのうち草野心平が急に擁護に入るんですね。「中原君の言ってることは、これこれこういうことで、だから文語で書いている。文語や口語の問題ではない。と同時に……」の時に中也が口を挟み、「人をほめて笑ふこともありますからね」と言ったという(笑)。

吉川 (笑)

宮崎 草野心平は別としても、そのとき対談に参加している詩人の面々を見れば、明らかに後世まで読み継がれているのは中也だし、それは文語だから口語だからは関係なかった。何を歌い上げるかが重要だったのは歴史が証明したと思います。なんか切ないな、と思いましたけど。

吉川 ご自身のアイデンティティと強く結びついている作家について書くというのは、本当に体力がいりますよね。

宮崎 そうですね。吉田健一の場合は僕が大人になってから出会ったのでまだ冷静に書けますが、中也は6歳とか7歳から、しかも最初は父親の読み聞かせで出会って、高校生の時も「父と中原中也」で書いた通りのエピソードがありますし、大学では卒業論文で書いたりと、僕にとって中也はずっと横にいた存在なんです。中也の詩や言葉がそこにあって、それが読める状態にあるというのがすべてだったんですよ、僕は中では。

中也は自分の詩を、前衛音楽集団「スルヤ」の諸井三郎らに曲をつけてもらっていますから、歌は意識していたはずです。まさに『在りし日の歌』や『山羊の歌』、「朝の歌」といったように「歌」が付いていますしね。1997年に山口県教育会館ホールで開催された「中原中也生誕90年・没後60年メモリアル 復活・スルヤ演奏會」のCD をゲットして聴きました。非常によかったです。「文語でも音楽にのるじゃん、何言ってんだよ」ってその対談のことを思い出しました。

先ほどはつい暗唱しちゃいましたけど、昔は酒を飲んだ帰り道で呟いたりしていました(現在は断酒中)。吉田健一も酔っ払った時にはシェイクスピアのソネットを原文で暗唱して悦に入っていたと聞きます。僕もそれに賛成です。詩は口に出してうっとりするもの、それがすべてだというか、それがないと文学なんてできないじゃないかなと思っていて。僕が、物書きになった後も中也のことを積極的に書かなかったのは、口に出してうっとりするとか誰かに朗唱して聴いてもらうとか、そういう喜びがなくなってしまうのが嫌だったからです。自分の中で、学問になっちゃうのがどうしても嫌だった。

でも、中也は30歳で亡くなって、僕は来年の3月に40歳になる。今回、中也についての評論の依頼が来て、手元にある資料にパっと目を通した時に、やっぱり書こうかなって思ったのは、「青春の詩人」と言われている中也との距離が少しできたからかもしれないですね。中也の詩についての考え方も変わりました。そこらへんについてはぜひ『しししし4』に掲載した論考を読んでもらいたいです。

仲間を吸い込んでいく「イッツ ア スモールタウン」

吉川 視聴者の方からコメントを頂いています。みゆさんから「第199回 狭い街」を挙げていただきました。「Yさんと今も仲がいいのが素敵だなと思いました」。

「第199回 狭い街」――幼馴染みY君に、お洒落な店を教えた宮崎。店が気に入ったY君は、宮崎に感謝する。翌日、宮崎が同じ店で食事していると、女性連れのY君が「ここ、俺ちゃんの行きつけなんだ」みたいな雰囲気で入ってきた現場を目撃してしまう。

宮崎 僕は東京出身なんですが、福生市というところで、東京の中心部から1時間30分くらいかかる東京なんですね。電車が駅に到着しても、自分でボタンを押さないと扉は開かないし。とは言いつつ東京出身というのはやっぱり大きくて、記憶がないくらいの小学校低学年の頃から今にかけて、男女問わず15人ほどの規模でずっと仲が良いんです。やっぱそれは田舎でも東京だから、みんな街からそう遠くないところで暮らしていることも要因なのかな、と思います。

吉川 私は鳥取県出身なので、ちょっと羨ましいですね。今も鳥取県に住んでいる同級生には「子どもの頃からの友達」というコミュニティがあるけど、私はほぼないです。

宮崎 やっぱり、大学進学で大阪とか東京とかの大都市に出てしまうと難しいんですね。僕は、小中高、大学、社会人の時の友達が、なぜかほとんど全員顔見知りなんですよ。途中から出会った友達も、結局同じコミュニティに吸い込まれていくという現象が起きている。東京のマイルドヤンキーは僕なんじゃないかって思います。

吉川 この連載にも登場する小田晃生さんから。「Yくんずっと最高だわ」とコメントをいただきました。

宮崎 アーティストで僕の友達でもある小田晃生君です。社会人になった20代中盤くらいの時に知り合ったんですけど、僕の幼馴染みのY君の事も知っているんですよね。

「第18回 小田君」――15年来の交流がある小田君と宮崎。ちょうど良い距離感で、互いに影響を与え合う二人の表現者の話。

Y君の話は僕いっぱい持っていて、どれも鉄板で面白いんです。地元に帰ると友達からいつもY君の話をせびられるんですけど、もうそれこそ「現代落語・It's a small town(イッツ ア スモール タウン)」。Y君の面白話はY君の前でもしているのですが、本人が「ここはこうだった」「こういうふうに話したほうが面白い」とか監修してくる。なので、話がどんどん洗練されていって(笑)。小田君はY君が本当に好きで、僕に会う度にY君の話をねだってきます。

ところで、Y君は成長が早くて、中一の時にはすでに170センチくらいあったんです。

吉川 そういう成長が早い子、たまにいますよね。

宮崎 一方の僕は早生まれで、ずっと鼻が詰まっていて、ぼんやりしていて。なんだかコラムではY君がヘタレみたいな感じで書いていますけど、実はY君は、ずっと僕の庇護者的な立場だったんですよ。

高校受験の時に一緒の塾に行っていたのですが、クラスが学力順で「特A、A、B、C」にわけられていました。特Aは私立の有名附属校などを目指す子たちのクラスです。僕はCだったんですけど、Y 君は頭が良くてAクラスだったんですね。僕は塾をサボってどこかに行ってしまう駄目な子だった。その度に家に電話がかかってくるんです。もうどうしようもない、仲良しのYがいるクラスに入れば一緒に行くんじゃないかっていう理由で、途中からY君と一緒のAクラスに入れてもらった。けど、Cクラスだったから、授業がちんぷんかんぷん(笑)。結局、受験は最後の最後に父に教えてもらって、なんとか乗り切りました。

だからY君はいまだに「あいつ、俺がいないとダメなんだよな」みたいな感じで接してくる。それがわかっていたから、連載でもY君のエピソードを出し惜しみしていたという(笑)。

吉川 コメント、続々届いています。「宮崎さん経由で小田さんの『ほうれんそう』を聞くようになりました」。

宮崎 ありがとうございます。小田君の『ほうれんそう』というアルバムが昨年の12月頃にリリースされたんですが、ちょうど僕も前著『平熱のまま、この世界に熱狂したい』を出版したタイミングだったこともあり、聴いていると、こうちょっと涙が出てくるんですよね。

失礼な言い方になってしまいますが、小田君は大ブレイクしているわけじゃないけどコツコツ頑張ってきた、僕より年下でちゃんと音楽だけで食べている人。僕も同じように大ブレイクしないまま文章だけでなんとか食べています。そういう人って結構いると思うんですけど、小田君のアルバムを聴いたらきっと僕のように涙を流しちゃうんじゃないかなあ。

小田君の歌には、滑稽で穏やかな世界観の中にもある種の焦燥感や切実さみたいなものがあって、それが前面に出たのが新しいアルバムの表題作「ほうれんそう」という曲だと思います。ちなみに、小田君には、中也の「ポッカリ月が出ましたら」で始まる有名な詩「湖上」に曲をつけてもらったりもしています。小田君のアルバム『発明』に入っています。

これ、いいですね、自分の好きなものを紹介するっていうのは(笑)。

言葉だけでつくられた世界――モヤモヤの日々が行う「挑戦」

宮崎 僕はこの連載で、言葉だけでエンターテイメントしたかったんです。言葉だけつくりあげた世界で、それが僕の世界であり、でも僕の世界とまったく同じではない。僕が見ている、僕が言語化している世界。それは、皆さんと共有できるものであると思うんですよね。

言葉は、空間や時間とは違う。言葉というのは、空間や距離や時間やイデオロギーや考え方を超えてつながれるものだと思っています。皆さんから「小田君の曲、聴きました」とか「紹介されていた本を買って読みました」と聞くと、それを達成できつつあるなと感じます。

吉川 うん。

宮崎 僕は、僕が見たり聴いたりした世界を言葉にすることが何より重要だと思っています。何かの枠組みを使うのではなく、生身の僕が感じたままを書く。というか、ジャーナリストでも学者でもないので、「僕」という一人称の主語を大切にする以外、僕の文章に意味や価値が宿ることなんてあり得ません。でないと、主語を入れ替えても成立してしまうような文章になってしまうんです。就活で書く下手なエントリーシートみたいになってしまう。

もしこの連載が白々しいものや、変に笑わしにかかっているだけのユニークエッセイだと感じるものになっていたら、そこに僕がいないからだと思います。それは読者の方の責任というより僕の責任です。でもそうじゃないと思ってくれる、このエッセイの中にちゃんと僕がいると感じてくれているなら、成功していると思うんです。

これはバズりとかが起きていっぺんに広がるものではなくて、200回やってようやくちょっとずつ理解者が出てくるという類のものなので、今後とも頑張っていきたいなと思います。

吉川 いい話を聞けました。というのも、この連載は二重三重の意味でやっちゃいけない連載なんですよね。

宮崎 難しいですよね。原稿が届いてない、みたいな事故が起きる可能性もあるし。

吉川 あえてバズや釣りを狙わないタイトルだし、普通に編集者として考えたら「おいおい大丈夫か」っていう感じなんですけど、我々もそれなりに頑張っていた中で読者の方が付いて来てくださって。

宮崎 こんなに読者の方から温かく見てもらってもらえる連載は初めてですよ。

吉川 ほんとすごいです。これは宮崎さんが一度も約束を違わず200回やってくれたからっていうのもありますが、読者の皆さんのおかげですね。

宮崎 ありがたいです。今後も頑張っていきたいです。

吉川 皆さま、本日はありがとうございました。

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(文・山本莉会

東京・神保町にある、文学・芸術を中心とした書籍と各種学校案内書を発行する出版社です。犀🦏のマークが目印です。