「訳者あとがき」たちよみ『コンヴァージェンス・カルチャー』
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「訳者あとがき」たちよみ『コンヴァージェンス・カルチャー』

ヘンリー・ジェンキンズ『コンヴァージェンス・カルチャー:ファンとメディアがつくる参加型文化』の初邦訳が2月2日に満を持して刊行されました。
「コンヴァージェンス」とは何なのか? それまでのファン研究とどこが違うのか? 本書の読みどころとは?
訳者のおひとり渡部宏樹さんによる「訳者あとがき」を一部抜粋してご紹介します(太字は担当編集者による)。全文のPDFはページの下部に掲載しています。

「訳者あとがき」より

本書はマサチューセッツ工科大学が発行する『テクノロジー・レビュー』誌に発表した論考や口頭発表を編集したもので、アカデミックな読者だけでなく一般の読者を想定して書かれている。タイトルにもなっている「コンヴァージェンス(convergence)」とは、日本語に訳すと一般的には「収斂(複数の異なるものが一箇所に集まること、似通っていくこと)」となる。だが、本書での「コンヴァージェンス」は「1. 多数のメディア・プラットフォームにわたってコンテンツが流通すること、2. 多数のメディア業界が協力すること、3. オーディエンスが自分の求めるエンタメ体験を求めてほとんどどこにでも渡り歩くこと」といった三つの意味を持っているのでカタカナで訳出した。このコンヴァージェンスをキーワードとして、ポップカルチャーのファンたちが自発的にコミュニティを形成しその中で集合的に知識を生み出す参加型文化のダイナミズムを描き出している。

(中略)

『コンヴァージェンス・カルチャー』はジェンキンズの初の邦訳書なので、読者の理解の補助として、ファンや受容に関する学術的動向の中で見たジェンキンズの独自性を4点ほど言及しておこう。

第一に、ジェンキンズが提起している「アカ・ファン(aka-fan)」という概念が、彼のアプローチとそれ以前のカルチュラル・スタディーズやメディア研究の手法との共通点と相違点を示している。「アカ・ファン」とは「アカデミック・ファン」の略で、学者であると同時にポップカルチャーのファンでもあることが自身の自己エスノグラフィー(auto-ethnography)的アプローチを特徴づけていることを明言したものである。エスノグラフィーという手法は英国のカルチュラル・スタディーズもジェンキンズの指導教官でもあるジョン・フィスクも採用しておりそれ自体として目新しいわけではないが、「アカ・ファン」であるという宣言を行なうことで、ジェンキンズはポップカルチャーの受容の現場にもう一歩踏み込み、ファンたちの活動の豊かさを再現することに成功している。

第二に、ジェンキンズはフェミニズムやクィア研究の影響を受けている。これは、ジェンキンズが女性のファンだけを研究対象としているという意味ではなく、彼がテクストを取り巻く権力関係とその中での「密猟」の複雑性に目を向けているということだ。大学生のころからジェンキンズはSFファンのコンベンション(日本でいうところのコミケ)に出向き、そこで出会った後の妻によって女性たちのファンフィクションの世界に導かれた。実際、『テクストの密猟者』は、同時期に出版されたベーコン=スミスの『積極的な/エンタープライズ号の女性たち:テレビのファンダムとポピュラー神話の創造(Enterprising Women:-Television Fandom and the Creation of Popular Myth)』(1992年)と同様、『スター・トレック』の女性ファンたちを取り上げている。『スター・トレック』の女性ファンたちは登場人物であるカークとスポックの原作には存在しない同性愛的な関係を描き出した二次創作(スラッシュ・フィクション)を作り出し、そうすることでテクストの意味をずらしている。この社会の中で周縁化されている女性たちが必ずしも彼女たちに向けて作られたわけではないポップカルチャー作品からどのように彼女たち自身の快楽を引き出しているのかという問題意識は、『コンヴァージェンス・カルチャー』においてはテクストの送り手である企業メディアやプロデューサーとファンたちの多元的で複雑な関係性への関心という形で現れていると言っていいだろう。

第三に、ジェンキンズは子供や若者への民主主義の教育に関心を持っている。『コンヴァージェンス・カルチャー』の中にもビデオゲームへの言及はあるが、マサチューセッツ工科大学の比較メディア研究プログラムにおいてビデオゲームと若者/子供文化は重要なテーマとして取り上げられ、ジェンダーとの関係やビデオゲームの暴力表現が現実での暴力を誘発するという議論への反論などを寄稿している。ビデオゲームという参加型文化のメディアを将来の市民的参加を育むための可能性の場として肯定的に捉えており、一般化して言うと、『スター・トレック』のホモエロティックなスラッシュ・フィクションを楽しむ女性たちにしても、ビデオゲームを楽しむ子供や若者にしても、彼ら彼女らの快楽こそが市民的参加のための教育の核にあるべきだという見方をしている。

第四に、ジェンキンズは技術決定論的立場をとっていない。『コンヴァージェンス・カルチャー』は確かにデジタル技術に注目しているが、デジタル技術が即何か新しいものを可能にするという議論はしていない。科学技術の前にまず人間が存在する。デジタル化以前から『スター・トレック』のファンたちが録画したビデオを編集してカークとスポックのスラッシュ・フィクションを作り郵便で交換していたことを考えれば、これは自明だ。デジタル技術は確かにファンたちの活動の場を大きく変え、『コンヴァージェンス・カルチャー』はその変化を描き出しているが、ジェンキンズの関心自体は一貫してファンたちの活動にある。だからこそ、原書の副題は「新旧メディアが衝突する場所」なのであり、メディアの生態が変化するときに新旧メディアの間でのファンたちの行動の変化を探ろうとしているのだ。

以上ジェンキンズの特徴としてあげた四点は彼の学術的達成のすべてを説明するものではないが、すでにオタク文化批評、女性文化研究、若者論、デジタル文化論などに親しんでいる日本の読者にとっては、これらの議論とジェンキンズの議論との違いを理解するための重要な参照点となるだろう。たとえば、ポップカルチャーとジェンダーの関係、男性オタク文化からのフェミニズム的視点の欠落、宝塚や男性アイドルの女性ファンの研究史、エンタメと子供や若者への教育、ポップカルチャーと民主主義の議論の間の隔たり、ITやコンテンツ産業のイデオロギーなどを、これまでとは異なる角度から検討する視点を『コンヴァージェンス・カルチャー』は提供している。

(中略)

本書が取り上げるファンの活動の事例はときにあまりにも下世話で、覗き見趣味的で、下品だ。だが、ジェンキンズはそういった不真面目な快楽が、社会からの一時的な逃避場所であるだけでなく、教育や連帯の場となっていることを具体的に描き出している。このジェンキンズと同じ視点は、実のところ、日本のポップカルチャーを対象とした研究にも多数存在しているのだが、その価値や意義はアカデミアの外側で十分に注目されていないように思う。本書の翻訳によって日米のファンやオーディエンスについての研究交流が進み、日本のポップカルチャーのファンについての既存の研究が再注目され、ひいては現在の日本社会において日常の中の不真面目な快楽からよりよい未来への回路が開かれることを願っている。

(『コンヴァージェンス・カルチャー』「訳者あとがき」より。太字は担当編集者による)

「訳者あとがき」全文はコチラ ↓↓↓

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『サバイバー』、『アメリカン・アイドル』、『マトリックス』、『スター・ウォーズ』、『ハリー・ポッター』……世界的ヒットを記録したエンターテインメントは、多くのファンたちが積極的に参加することで熱狂の渦が生まれた。
映画やアニメ、ゲーム、コミックなど多岐にわたるメディア・プラットフォームのもとに、ポップカルチャーのファンたちは集まり、コミュニティをつくる。ファンと産業界が衝突しながらもともに切りひらいてきた豊かな物語世界の軌跡をたどり、参加型文化にこれからの市民社会を築く可能性を見出す、ファン研究の古典的名著。

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