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vol.2 岐阜ポルターガイスト団地に「来た」もの――吉田悠軌の異類捜索記

 全国の霊能者たちが、その団地に次々と集まってきたのは、2000年晩秋のことだった。
 
 あるものは悪霊を退散させようと、あるものは土地の祟りを鎮めようと、怯える住民たちに自らの見立てを説明していく。さらにマスコミ各社までもが、彼らを囲むようにして陣取り、激しい報道合戦を繰り広げる。
 映画『来る』のクライマックスシーンさながら、郊外の団地は時ならぬ大騒動に巻き込まれた。

 小さな前兆は、1999年春の時点ですでに始まっていた。
 名古屋市街から車で一時間ほどの岐阜県・富加町。その一角に新築された町営「T住宅」に、ぽつぽつと入居者たちが住み始めた頃である。
 時を置かずして、不審な物音が響いているとの訴えが、住人たちから漏れ出てきた。
「ギシッギシッ」と壁がきしむ音。天井を何かが「トトトトッ」と走る音。他にも「ガラス瓶が転がる音」「ノコギリで切る音」「トンカチで叩く音」など多種多様なノイズに悩まされているという。
 とはいえ、これだけならまだ合理的な説明がつく。「ギシッギシッ」は、新築ならではの建物の膨張・収縮による歪み。「トトトトッ」は、ネズミなどの小動物が侵入した音。ガラス瓶やノコギリ、トンカチなどの音というのはやや不可解だが、水道管が圧力によって振動する「ウォーターハンマー現象」の一種とも考えられる。実際、この時点では住人たちも日々の怪音を我慢しつつ、静かに経緯を見守っていた。
 ところが2000年の夏、ちょうど盆の時期に入ったところで、事態はさらに悪化していく。 

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 特に、4階に住む主婦「Mさん」の部屋はひどかった。
 シャワーや水道から勝手に水が流れる。テレビのチャンネルが勝手に変わる。食器棚が開いて皿や茶碗が2メートルも飛び出す……。そんな「ポルターガイスト現象」が次々に発生したのだ。
 しかも勝手に飛んで欠けたという茶碗の一部は、まるで機械によるかのように正確な長方形に切断されていた。残された写真を見ても、その切り口は確かに不気味である。
 また同4階の別室に住む夫婦のところでも、「深夜2時、コンセントから外れているドライヤーからいきなり熱風が吹き出した」という怪現象が発生。
 これらポルターガイスト現象とは別に、幽霊の目撃も相次いだ。各部屋の中、階段や非常口、また屋外の駐輪場などで「女性の霊が立っていた、もしくは歩いていた」という証言が続出したのだ。

 こうした心霊騒動について、数え切れないほどの相談を受けた自治会長(当時)のT氏は、大家である富加町・町役場に報告。しかし役場側は「政教分離に反するため、自治体がお祓いなどの宗教的行為を行うことは不可能」として、なんら対策を講じてくれない。
 業を煮やした一部住民は9月30日に木曽御岳本教の祈祷師を呼び、翌月15日、団地前の広場にてお祓いの儀式を執り行った。そこで祈祷師は、広場の真ん中あたりを指さし、住民たちにこう告げたのである。

「約30年前に、ここで首吊り自殺した女性がいる。数々の現象は、弔われずにいる女の祟りだ」

 この霊視に、古くからの富加町民たちは震えあがった。オイルショックの時期、すぐ近隣にて、小学生の子を持つ母親が縊死した事件を思い出したからだ。さっそく当該の場所に慰霊碑がたてられ、女性の霊を供養することとなった。
 それでも、騒ぎはいっこうに収まる気配を見せない。一部住民からは、あいかわらず怪音やポルターガイストを主張する声が続いている。心霊現象に悩まされたせいか、緊張した空気に耐えきれなくなったのか、団地外へと一時避難する人々もいた。そしてついに騒動の波は、団地外をも巻き込むこととなる。

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 これらのエピソードを、地元紙である中日新聞が報じた(2000年10月13日付夕刊)ところ、マスコミ各社が飛びついた。新聞各紙はもとより、様々な週刊誌の記者たち、さらにはテレビ朝日系「ニュースステーション」(現「報道ステーション」の前身番組)のTVクルーまでもが、郊外の小さな団地に詰めかけてきた。出入りする住人たちにマイクを向け、夜でも眩しすぎるほどの照明をつけ、さらには部屋に泊りこんでの恐怖体験ルポを敢行したり……取材は激しくヒートアップしていった。

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 そこにまた、騒動を聞きつけた霊能者や宗教団体が、我こそ除霊せんと1日2~3人のペースで訪問してくる。その総数はおよそ30名。ほとんどが無償でのお祓いを提案したものの、中には「除霊一件につき百万円」と詐欺まがいの要求をする輩もいたという。
 当時の住人には悪いが、こうなってはもはやホラーというよりドタバタ喜劇である。
 あの織田無道や江原啓之をはじめ、数々の霊能者が「水子の祟り」「織田信長の息子の祟り」「コレラで死んだ何千頭もの牛豚の霊によるもの」と口々に解説(怪説)を展開。その中で「刀鍛冶の霊とポルトガル宣教師の霊の怨念」と主張したのが、当時新進の霊能者だったS氏。並みいる祈祷師たちを差し置いて、彼女の除霊こそが功を奏し、心霊騒動は終焉を迎えたのだった……。

 というのが、いちおうT自治会長も当時の取材にて認めている「経緯」ではある。
 付言しておくと、S氏たちが去った後もしばらくの間、心霊現象を訴える住人はちらほらといたようだ。ともあれ一時の狂騒ぶりが落ち着いていったのは事実だが、それもむしろ霊能者たちの成果というより、詰めかけた報道陣が帰っていったからだろう。
 マスコミの、いや読者・視聴者の好奇の目が向けられなくなるにつれ、団地は徐々に静けさを取り戻し、そして心霊現象もまた消えていったのである。

              * * *

 それから月日が流れ、二十一世紀も十数年が過ぎた。
 2016年の初夏、あの団地がどうなっているか気になった私は、富加町を訪れてみることにした。
 小高い山と田畑に囲まれた風景は、16年前とほとんど変わっていないだろう。実はこの町の歴史は相当に古く、現存する日本最古の戸籍(702年)にも記されているほど。周囲にはかむさびた神社や古墳が点々と存在し、太古の信仰の名残を感じさせる。
 そういえば、かつて同事件を取材した漫画家・永久保貴一は、作品内で「T住宅が古来よりの神の霊道を塞いでしまったのが、祟りの原因ではないか」と論じていた(『取り憑く団地』、「永久保貴一の極めて怖い話」所収)。確かに、そんな発想が出てきてもおかしくないような歴史を感じさせる土地柄ではある。

周辺にある古墳

 T住宅は騒動の1年後にB棟、2年後にC棟が増築された。よく「団地」と称されるものの、低層建築で戸数も少なく、どちらかといえばマンションのような外観だ。それなりにモダンな建築が3棟並んでいる様子は、とても心霊騒動があった空間と思えない。
 とりいそぎ、怪談現場であるA棟の入り口周辺を見渡してみた。そこが祈祷師の霊視した「女性が首吊り自殺した場所」のはずだからだ。
 しかしT自治会長らが建てた慰霊碑は、どこにも見当たらない。どうやらS氏の「慰霊碑があると、かえって悪霊が集まる」というアドバイスにより取り壊してしまったようである。代わりに植樹されたハナミズキが、せっせと新緑の若葉を広げていた。

慰霊碑跡のハナミズキ

 続いて、現在の住民たちに話を聞くべく、一戸ずつ部屋を訪問していく。ほとんどは留守だったが、対応してくれた人々も「その頃には住んでいなかったので、当時のことはいっさい知らない」といった回答ばかり。マスコミの窓口となっていたT自治会長も、現在は亡くなっているとのこと。そこで現・自治会長に話を聞こうと会ってみたのだが。

「まったく知りません。2000年頃にそんな騒動があったことすら、認識していない」

 けんもほろろの返事であった。町営住宅なので住人の新陳代謝が激しいだろうし、会長自身も数年前に引っ越したらしいので、当事者として体験していないのは当然だろう。ただ、さすがにあれほどの大騒ぎがあった事実を「知らない」はずもないと思うのだが……。
 もちろん私だって、現住人が喜んで自分の団地の心霊事情をしゃべるとは考えていない。いったん団地から離れて、付近住民の聞き込みへとシフトチェンジしてみる。すると、こちらはうってかわって当時の思い出を語ってくれる人ばかり。
「マスコミが大挙してきたのはたいへんでしたね。夜でも騒いでいるし、団地どころか町のあちこちにゴミをポイ捨てしていくから、地域全体で迷惑していましたよ」
 また、次のような新たな怪談も収集できた。
「あの頃は団地に、友人とその五歳になる息子が住んでいたんですが。その子が部屋の中でずっと、目に見えないなにかと遊んでいるそうなんです。色々聞いてみると、どうもお爺さんの幽霊とおしゃべりしているらしく……。友人もすっかり困ってましたね」
 話題になっていた「女の幽霊」とはまったく異なるエピソードである。当時の雑誌にも「幼児が男女の幽霊を見ていた」住人の報告があるが、それともまた別件らしい。三十所帯にも満たない物件で、ここまで種々雑多な怪異体験が同時進行していたということ。心霊現象の有無はともかく、それだけでもなかなかの異常事態である。
 しつこく町内を訊ねまわる私に、住民のひとりがある人物を紹介してくれた。当時、T住宅に住んでいたというAさんである。電話であれば、ということで取材に応じてくれたAさんだったが、その述懐は驚くほど冷静なものだった。

「正直、迷惑でしたよ」当時の様子を、彼女はそう振り返る。
「ほとんどの住人は心霊現象なんて全く身に覚えもなかったんですから。一部の人が神経質に騒いでいただけです」
 幽霊にもポルターガイストにも出くわさず、祟りもお祓いも関係なく暮らしていた住人の方が多数派だった。彼らにとって、マスコミと霊能者がタッグを組んだような報道・除霊合戦は騒音公害でしかなかったという。
「ひどいのになると、団地全戸の部屋のドアに、変な御札を勝手に貼って回った人もいたんですよ。それで金銭を要求されたりはしなかったけど、だからこそ逆に気味悪いですよね。“本気でなにかを信じて”やってた行動ということだから」
 神経質に騒ぎ立て、非・心霊サイドの人々を勝手に巻き込んだという「一部の住人」。それが誰なのかについて、Aさんは何も語らなかった。だからこれは、あくまで私の勝手な推測なのだが。
 当時の雑誌記事と照らし合わせてみるに、数々の霊にまつわるコメントを寄せた4階の主婦Mさんこそが、その当人ではないかと感じられた。またAさんとは別の近隣住民からも「騒動をおさめた手腕に心酔し、霊能者S氏の弟子となった団地住人がいた」と聞かされたのだが……それもまたMさんを指しているのかどうか。まあ、これ以上は邪推になるのでやめておこう。
 いずれにせよ、現住人も付近の人々も口を揃えて「今のT住宅には心霊現象など全く起きていない」と断言している。

               * * *

 2000年代初頭、歴史深い町の新興住宅を舞台に繰り広げられた、奇妙な心霊騒動。
 どうもそれは調べていくほど、「心霊」ではなく「騒動」の方へと、論点がシフトしていってしまうようだ。
 いや、なにも「心霊」などありえないと否定する訳ではない。かといって「心霊」が確かにあったと肯定したい訳でもない。
 もちろん一連の訴えを「集団ヒステリー」と片付けることは可能だし、異音やポルターガイストに科学的説明をつけるのもそこまで難しくはない。極論すれば、起こったとされる現象をいちいち真に受けて、しっかりした反証を試みずとも、こう言ってしまえばおしまいなのだ。
「Mさんたち一部の住人が、嘘をついたとまではいわずとも、話を大げさにしただけじゃないのか?」
 そうでないとすれば、どうして一連のパニック状態の終息にともない、幽霊までもがいなくなったのか? 本当に幽霊や祟りが実在するのなら、人間側の騒ぎなんて関係ないはずじゃないか?
 ……といったような意見もあるだろう。

 ただ私にとって、そうした真偽は、正直どちらでもよい。
 意外に思われるかもしれないが、私をふくめ現在の「怪談」文化に携わる人間は、「心霊」に対してやや醒めた距離感で臨んでいるものがほとんどだ。
 私は「怪談」を生業とし、「怪談」そのものに興味を持つ人間なので、科学の立場から心霊現象の有無を問う人々とはスタンスがまったく異なる。幽霊や祟りが「あるかないか」つまり「自然科学として検証可能であるかないか」を問うのは、私の仕事ではない。ひたすら怪しい談(はなし)を聞き、それを談(かた)る人々の方に思いを巡らせるだけだ。
 その意味で私は、「騒動」が主となり、従として「心霊」が談(かた)られた本件の、なんだか歪つな点に興味を持ったのだ。
「ほとんどの住人に関係なかった」というAさんのコメントは、当事者としてまっとうな意見である。しかし同時に、「一部の住人」の声高な主張だけが、T住宅の心霊騒動をかたちづくったのではないことも注意しておこう。
 彼らは心霊現象にどのような距離をとっていたか。霊能者の弟子になるほど積極的に認める人もいれば、一時的に建物を避難するかたちで消極的に認める人もいた。テレビや雑誌に取材協力し、自室に記者を寝泊りまでさせた人もいれば、「子どもがお爺さんの霊と遊んでいる」ことをひっそり友人にだけ相談した人もいた。もちろんAさんのように、不思議なことにはいっさい出くわしていないという人もいた。
 個々でグラデーションの差があるとはいえ、真偽についての立場も様々とはいえ、彼らが「心霊現象が起こるとされる建物」にて共同生活を行っていたことは間違いない。またその建物が二十数所帯と多からず少なからず、噂を共有するのにちょうどいい規模だったこと。しかも古くからの知り合いではなく、新築物件で顔を合わせたばかりという住人たちの絶妙な距離感。それらが「心霊」について語りやすい磁場をなしたのだろう。

 もちろん、その磁場の形成に、住人たちよりはるかに大きく寄与したのは、マスコミや霊能者たち、そして大衆の好奇心である。
 1995年のオウム事件ショックは、メディア全体にオカルト・アレルギーをひき起こした。事件前、あの団体をさんざん面白おかしく取り上げていたことの反動から、オカルト全般に対する強烈な自粛ムードが、しばらく世の中を覆っていた。我々の日常会話・世間話においても、よほど気安い仲でなければ、宗教や心霊にまつわる話題がためらわれるような空気感だった。少なくとも私個人は、そのように記憶している。
 だからこそ、当時まだアングラだったインターネットにおいて、あれほどオカルト的言説が盛り上がったのだろう。それでも圧倒的少数だったネット民たちだけで、社会全体のガス抜きができるはずもない。ただでさえ「隠された文化」であるオカルトは、さらに抑圧されたせいで、どこかに噴出口を求めていた。
 2000年とは、ようやく過敏なオカルト・アレルギーが緩みだし、いわゆる「スピリチュアル」ブームが台頭しはじめた時期でもあった。オウム事件直後なら忌避されたはずの「霊能者によるアドバイス」に一部住人が熱心に耳を傾け、それがまた騒動の助長へとフィードバックされていく。マスコミの方も「そろそろ心霊や霊能者を扱っても大丈夫なのでは……」と恐るおそる手を伸ばしてきた。そしてなにより私たち大衆が、ずっとお預けされていた心霊めいた物語に飢え、欲したからこそ、あそこまでの爆発をひきおこしたのである。

 そう考えてみれば、S氏が「首吊り女性の慰霊碑」を破壊させたというのは、適切な処置だったのかもしれない。(本人の意図はともかく)「この土地に怨霊がいて、その祟りが残っている」という物語――私たちが怖れつつも、実は欲している物語――そのものを消し、無効化する手段ではあったのだから。
 ただもちろん私だって、そのおかげで幽霊や祟りがなくなったのだと(T自治会長のようには)思っていない。身も蓋もない言い方だが、世間が興味を失ったからこそ、周囲をとりまく「心霊」への期待がすっかり消えたからこそ、T住宅から幽霊と祟りがなくなったのだ。
 このニュース以降の日本社会も、T住宅と同じような経緯をたどった。あれほど騒いだにもかかわらず、「心霊」というコンテンツそのものが、また1970~90年代前半の頃のような表舞台に返り咲くことはなかった。あれほど集まったはずの「霊能者」たちも、テレビや雑誌などの大手メディアにはあまり姿を見せなくなった。代わりに、もっと現実社会にマッチした(ように見える)「スピリチュアル」へと、時代の舵はきられていく。
 そして私の仕事である「怪談」文化が、「心霊」「霊能者」と距離を置くことで世間に受け入れられていくのは、もうちょっと先の話である。
 二〇〇〇年にあの団地で起きたのは、「心霊」冬の時代に仇花のごとく咲いた、ひとつのお祭り騒ぎだったのかもしれない。                    (敬称略)

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東京・神保町にある、文学・芸術を中心とした書籍と各種学校案内書を発行する出版社です。犀🦏のマークが目印です。

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