宮崎智之「モヤモヤの日々」連載100回記念対談(後編)――文学との出会いと楽しみ、言葉へのコミットメント

宮崎智之「モヤモヤの日々」連載100回記念対談(後編)――文学との出会いと楽しみ、言葉へのコミットメント

毎日更新*の夕刊コラム「モヤモヤの日々」(晶文社スクラップブック)が話題になっています。著者の宮崎智之さんは、昨年12月に『平熱のまま、この世界に熱狂したい 「弱さ」を受け入れる日常革命』(幻冬舎)を上梓。日々の暮らしで生まれるモヤモヤを見つめ、犬と赤ちゃんを愛で、「平熱」の中からクリエイティブを発信する、混沌とした新時代における注目の書き手です。 *土日祝日を除く平日17時に更新。

去る5月24日、「モヤモヤの日々」連載100回を記念したトークライブがYouTubeライブで開催されました。連載の読みどころや執筆するうえでのこだわりについて、当連載の編集担当である吉川浩満がじっくりと伺いました。その一部を加筆・再構成し、2回に分けてお送りします。

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コラムとエッセイ、写生と私小説の違い

宮崎 コラムと銘打って始めた連載ですが、コラムとエッセイの違いについて考えることもあります。

吉川 両者の違いについて、宮崎さんはどうお考えですか?

宮崎 コラムとは対象を自分と引き離して客観的に書くもの、と思っています。

分かりやすいものだと時事コラムがありますよね。薄田泣菫の『茶話』(詳しくは前編)も、「誰々がこう言った」という、ひとつの形みたいなものがあって、文化人界隈で見聞きした話を自分と離して書いているのが『茶話』では多いスタイル。ほかに、リアルで起きている時事を題材として扱う場合もコラムですよね。みなさんが「コラム」と聞いてイメージするのも、時事コラムや社会コラム、辛口コラムなんかじゃないでしょうか。

一方エッセイは、作者の実存的なものが入るもだと思います。僕の連載でいうと、最初はコラムの形で始めようと思ったものの、今は両方が入っています。

吉川 日によってコラム色が強い日もあるけど、エッセイっぽくも読める回もありますね。

宮崎 時事コラム然としたものは、世の中にたくさんあります。夕刊紙でも、ネットにもある。この連載を書き連ねていくうちに、「ある程度自分を出して、自分の目線で書くことに価値があるのでは」と思うようになり、今のようなスタイルになっています。

連載を続けることは容易です。僕が見ている世界を書こうと思えば、いくらだって書ける。それは、写実というか描写ですよね。

そこに、独自性が生まれるとすれば、徹底的に僕という目線を通して日常を見ることにあると思っていて。例えば言葉遣い。連載では、赤ちゃんのことを赤子って言ったり、愛犬ニコルのことを素っ気なく犬と言ったりしています。人によっては素っ気なく感じられてしまう言葉遣いをするのも、普段の僕なんですよ。

そういう素っ気なさが自分の言語感覚にあって、不思議なんですけど、Twitterなどで感想を拝見すると、それが読者の方にもうつっているんですよね。それが毎日続けることの意味なのでは、と思います。

吉川 確かに。その人が世界とどう対しているかは、言葉の使い方に表われますもんね。それが繰り返されることで、読んでいる方もシンクロしてくることがある。それは読者にとってもちょっと楽しい体験です。

例えば、宮崎さんの家の「キャズム超え」のような言語共有が、薄く我々の間でもできるみたいなことってありますよね。

※「第69回 キャズム超え」――マーケティング文脈で出てくる「キャズム超え」という言葉。宮崎夫妻の間では「伸びた髪を今すぐ切りたい衝動に駆られた瞬間」を表す言葉として使用されている。

宮崎 そうですね。「1秒前と何が違うかわからないけどもう切りたい!」って瞬間、皆さんもありますよね。

吉川 視聴者の方から質問が届いています。「コラムとエッセイと私小説の違いについて、宮崎さんどう思いますか?」。

宮崎 私小説とエッセイは近いですよね。しかし、写生という軸で考えたときに、私小説は少し違いますよね。

文学的な議論になりますが、私小説でいうと近代以降は田山花袋の『蒲団』があります。太宰治もそうだと言えるかもしれません。小説家としてのキャリアがない素人が私小説をやろうとすると、「作品の中に何らかの起伏がないといけない」という考えに陥ってしまいがち。

一方エッセイは、生活の中であったことを書くものだと思います。エッセイと私小説は近いけど、「写生」の方が近い印象を受けます。絵で言うと「スケッチ」ですね。

エッセイでは、私小説のように何か大袈裟なことがあるわけではないんですよね。例えば僕の連載では、「弟子の女生徒の布団をかいで泣いた」ではなく、「犬の匂いをかいでフニャッとする」みたいな身も蓋もない現実が書かれていて。飼い犬のことがたまらなく好きで相手も懐いてくれているけど、相手が何を考えているかはまったくわからない。僕がどう想像して一生懸命写実しても、そこに生じてしまう齟齬があるんです。エッセイでは、その「思ってたものと違った」ときの落差が面白かったりするんですよね。

吉川 私も宮崎さんの文章は私小説というか写生文に近い感じがあって、それが好きなところでもあります。

生活しなければ書けない連載

吉川 宮崎さん家には昨年お子さんが生まれました。子どもがいると、予測不可能なことが増えすよね。

宮崎 そうですね、家では犬も飼っていますし、1歳になったばかり(ライブ配信当時)の赤子もいます。昔は家に篭って自分のペースでやれば良かったけどそうじゃなくなってきている。思ったように進まないことがある一方、そういうものに触れることでモヤモヤできるんですよね。

「モヤモヤの日々」って、ようは生活するってことだと思うんです。生活ってモヤモヤするし、生活していてモヤモヤしない日ってないじゃないですか。

吉川 ないですね。

宮崎 これから子どもが成長するに従い、親の自分ももっと大変なことや辛いことが起きるんだろうなという思いがありつつも、それらの課題と向き合うのが生活であり生きることなんですよね。生活を大切にようと努力しているから、この連載ができているという思いはあります。頭の中でぼうっと考えているだけではダメで、きちんと生活をしないと、この連載はできない。この連載をすることで、余計に生活を大事にするようになりましたね。

吉川 すごくいい話。今この話を聞いて、連載をお願いして良かったと心から思いました。

宮崎 あ、ほんとですか(笑)。僕アルコール依存症になってから5年以上断酒してるんですけど、酒なんか飲んでたらこんな連載絶対できないです。飲んだら途絶えるでしょうね。

吉川 ほかに、連載の中でこだわってることは?

宮崎 あとは、なるべく実名で書きたいと言うことですね。連載の中には吉川さんにも出ていただいていますし、幻冬舎の竹村優子さん、ミュージシャンの小田晃生さん、赤坂の書店・双子のライオン堂の店主・竹田信弥さんなど、僕の周りにいる人をできるだけ実名で書いています。僕の目線で僕の世界を見てもらう以上、実名じゃないといけないという思いと、匿名だと何でも書けるので、つまんないなと思っちゃう。実名で書くからこそのヒリヒリ感がないと、なぁなぁになっちゃうかなと思うんです。

吉川 それは私も本当にそう思います。

宮崎 連載で実名を出す際は、できるだけTwitterのリンクも貼らせてもらって、その人がどんな人かも見てもらうようにしたり。僕の人間関係だけど、皆さんに当てはめると「そういう人いるな」と感じられると思うんです。

文学は楽しむもの

吉川 ちなみに宮崎さんは大学では日本文学を専攻していたそうですね。何の研究をされたんですか?

宮崎 学部しか出ていませんが、卒論は中原中也でした。

幼少期、僕はとにかく学校の勉強をしない子どもで、集中力もなかったんですね。ファミコンに熱中するだけで親が、「智之が落ち着いて遊んでいる!」と褒めてくれるくらいダメな子だった。そんな僕だったんですけど、あるときお父さんが「どうやら本を読んだり文章を書いたりすることは好きらしい」と気づいてくれて。そんな父が僕に読み聞かせてくれたのが中原中也でした。それが僕の初めての文学体験。

吉川 幸せな文学との出会いですね。

宮崎 だから僕にとって文学は、眉間にシワを寄せてやるものではなく、あくまで楽しむもの、という考え方が根本にあるんですよね。自分には不快な思いをするものも含めて、文学は楽しむためにあると思っています。

物書きって、1年後にお金が入ってくるかわからない仕事をしたりするじゃないですか。ライターで一番潰れやすいの人って、仕事がなくお金が入ってこないときに不安になるタイプだと思うんです。でも、僕は本が読みたくてこの仕事始めたので、仕事が全然ないときは「ラッキー。もっとたくさん本が読める」って、ついつい思ってしまうんですよね(笑)。心は弱いですけどハートが強いとよく言われます。まあ、お金がなければ生きていけないから、少し休んだらまた働き出すんですけど。

吉川 この対談で、私も含め読者の方も、宮崎さんがどんな人か分かるようになったのではと思います。

宮崎 だらしないし物わかりが悪い。原稿書くにしても、ほとんど考えてる時間です。物わかりが悪いから。

吉川 「怪談タクシー」でも「100円じゃダメですか」って聞いてますよね。ああいう感じがすごく好きで。

宮崎 僕は、自分に対して信用がないんですよ。きっと自分が間違っているに違いないと思い込んでしまう(笑)

※ 「第101回 怪談タクシー」――タクシーに乗り、無事自宅に到着した宮崎。1,060円の会計に対し、宮崎が出したのは1,110円だった。運転手は宮崎に「お客さん、これ100円ですよ」と静かに何度も繰り返す。白昼に起きた、怪談話。

時代に合う言葉の運用を 言語が変えていく未来について

吉川 前著『平熱のまま、この世界に熱狂したい 「弱さ」を受け入れる日常革命』(幻冬舎)も「モヤモヤの日々」でも、宮崎さんの中にもうひとつの軸としてあるのが「言葉」ですよね。

宮崎 僕は、自分のことは信じていないけど言葉の力は信じているんです。今、世の中が悪い一つの要因として、言葉の運用や使い方、表現が時代に合わなくなっているものを更新できていないんじゃないかと思っていて。

それはすごい評論家や作家がやるべきことなのかもしれない。けど、日常の言語や文章の領域では、僕も新しい運用方法を考えていけると思うんです。大袈裟にたとえると、日本の近代文学はある意味、言葉を作るところからスタートしていったはずです。僕も運用を工夫することでつらい現実を変え、書けることを増やしていくことにチャレンジしたいですね。

言葉には伝統があって、基本的には、過去の言葉を否定することはできない。過去の言葉を消したり縮小したりするのではなく乗り越えて上書きしていきたい。今の時代に合わせて、この先100年くらい使える言葉を作ることができればという野心を持っています。

吉川 今日の対談で、一層宮崎さんを好きになりました。ぜひ皆さんも、宮崎智之に注目してくださるとうれしいです。こんな時間まで、こんなに多くの方が聞いてくださって。ありがとうございます。あ、初めて出会うタイプの天才っていうコメントがありますね。

宮崎 天才なんて初めて言われました(笑)。「モヤモヤの日々」の連載は僕も吉川さんもTwitterで更新情報を出していますので、どんどん言及していってくださると幸いです。書籍化目を目指して頑張ります。

吉川 皆さま、本日はありがとうございました。

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(文・山本莉会

※イベントの様子は下記「晶文社YouTubeチャンネル」にてご覧になれます。


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