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vol.5 歩く死体を追いかけろ!(後)――吉田悠軌の異類捜索記

 なぜ「歩く死体」の物語は、こうまで繰り返し変奏され続けるのか。それも市井の人々の口コミとはまた別に、実力ある作家たちが情熱をもって発表するケースが目立つ。
 もちろんこの話が、「ベッドの下の男」「テケテケ」などの都市伝説とタイプが違うことは、すぐ理解できる。大衆に広まる怪談・都市伝説は、日常生活のすぐそばでふいに出くわす、リアルで短い話でなくてはならない。その点、「ベッドの下の男」「テケテケ」などは、なじみある生活環境で起こるコンパクトな恐怖であり、当然、人々の口の端にのぼりやすい。

 一方「歩く死体」は、雪山という特殊な舞台にて、人間の深層心理を掘り下げた、やや長尺なストーリーのため、口コミには適さない。インターネット普及以降の2000年代であれば「ネット怪談」のひとつとして人気を博した可能性もあるが、いかんせん登場時期が少し早かった。
 となると「歩く死体」の物語をきちんと紹介し、世間に広める役割は、雑誌や書籍、あるいはソフト販売(オリジナルビデオやカセットテープなど)に発表の場を持つ作家たちが担うこととなる。
 ただし彼らも、それが自分のオリジナルではないことをきちんと自覚していた。
 いつどこで誰から聞いたかは忘れたが、心の奥底に刻み込まれた恐怖譚
それをある時ふいに思い出し、どうしてか自らも語りだしてしまう。語り手の意思というより、物語自体が地中の底から掘り出してもらいたがっているような……。これはまさしく、無意識に死体を掘りかえすという「歩く死体」のモチーフに酷似しているではないか。

 さて、そろそろ「歩く死体」の最も奇妙な例を紹介しよう。
 秋田書店「世界怪奇スリラー全集」第4巻「世界の謎と恐怖」(1968年4月15日初版)所収の『夜歩く死体』である。

 いわゆる怪奇実話ものだが、時代設定は暴君ネロが支配する古代ローマ(!)。キリスト教徒弾圧を背景に、聖ピエトロ(十二使徒のペトロ)が拷問の末に処刑されてしまうところまでが前半部分だ。
 その過程で、ある事実が明かされる。ピエトロと同じくローマ布教の指導者だったベルナルド。彼こそが、ピエトロを陥れ、身柄を売った犯人だったのだ。
 磔刑上のピエトロは、信仰を棄てネロ側についたベルナルドに対し、こう告げて果てる。
神は、いつの日か、必ずや、君に裁きを下すであろう
 その翌朝、目覚めたベルナルドは驚愕の光景を目の当たりにした。自宅の椅子に、死んだピエトロが座り込んでいたのである。一時的に生き返ったのかと思い、再びピエトロを元の墓所に埋葬するも、翌朝、また同じように死体が戻ってくる。
 恐怖により錯乱したベルナルドは、自らの胸を槍で貫き、死んでしまうのだった。もちろん、死体を戻していたのが彼自身であることは終盤で明らかになる。

 後半の展開は予想通りとしても、「歩く死体」の類話としては、なんとも特殊なケースである。
 まず注意すべき点がひとつ。「世界の謎と恐怖」刊行が、先に紹介した『テーブルを前にした死骸』邦訳よりも前ということだ。同作の筆者は英語に堪能であり、あらかじめアダムズの原著を読んでいたのだろうか?
 その可能性は低い、と私は思う。
 なにしろ筆者は、あの真樹日佐夫である。梶原一騎の実弟にして、兄以上の武闘派として知られる作家だ。夜の街を飲み歩き、ルポライター業や新人賞向けの小説執筆も忙しかった当時の彼に、海外怪奇小説、それも日本ではマイナーなアダムズの原著をとりよせて読む余裕があったとは考えにくい。……もちろん、これはあくまで私の個人的な推測だ。真樹自身が原著を読んだ可能性も、秋田書店の編集者からストーリーを伝え聞いた可能性も全否定はできない。
 だがここはやはり井上雅彦の言うとおり、「見えざる語り部」が「無意識の領域を通じて」語りかけてきたのでは、と想像しておきたい。アダムズの小説とは関係ないところで、真樹日佐夫のアンテナが「歩く死体」の物語を敏感に受信したのではないか。
 考えてみてほしい。もし事前に『テーブルを前にした死骸』を読んでいたのであれば、なぜ古代ローマなどという時代を選んだのだろう? 「歩く死体」という物語では、遺体が腐敗しにくい状況が必要なため、ほぼ必ず雪山や寒冷地が舞台となる。二千年前の南欧では無理が生じてしまうのだが、それは単なる設定ミスだったのだろうか?

 いや、そう切って捨てる訳にはいかない。真樹版『夜歩く死体』は、確かに荒削りで洗練とはほど遠い作品だが、そのぶん、熱っぽくエネルギッシュでもある。だからこそ、アダムズ版では見えづらい、ある核心をついているのではないか。「歩く死体」という物語の元型を、真樹ならではの感覚でストレートに掴んでるのではないか。
 おそらく『夜歩く死体』が下敷きにしたのはアダムズではなく、小説『クオ・ヴァディス』(1896年刊行、ポーランド)およびそのハリウッド映画版(『クオ・ヴァディス』1951年公開、アメリカ)だろう。ノーベル賞作家ヘンリク・シェンキェヴィチの代表作『クオ・ヴァディス』もまた、ペトロにまつわるエピソードを大きくとりあげている。ただ、こちらではペトロの方が「死んだはずの人間と再会する」のだが……。

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 イエス磔刑から30年後。ローマでの布教を行うペトロに対し、暴君ネロの迫害は日増しに激化していく。信徒らの進言でローマを脱出したペトロだったが、アッピア街道をゆく途中、反対方向からやってきたある男とすれ違う。それは30年前に死んだはずの、そして復活後に昇天したはずの、イエスその人だった。
「クオ・ヴァディス、ドミネ(どこへ行かれるのですか、主よ?)」
 驚き尋ねるペトロに、イエスはこう返す。
「ローマへ。汝が我が民を見捨てるのなら、私は再び十字架にかけられよう」
 ここでペトロは己の過ちを悟り、ローマへの道を引き返していったのである。その後、殉教を遂げたペトロが初代ローマ教皇とされ、墓所であるサン・ピエトロ大聖堂がカトリックの総本山となったのは言うまでもない。
 この聖伝(聖書以外の伝承)はいわば、イエス二度目の降臨=復活である。彼の教えが「キリスト教」という社会宗教に発展するタイミングで、その信仰上もっとも重要な「復活」が再び行われた。そしてキリスト教における「復活」は、ただ人類の罪を背負って処刑されたイエスだけのものではない。全人類が墓からよみがえり罪を裁かれる「最後の審判」という最重要の教義も忘れてはならない。

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 ――そう。「歩く死体」もまた、「死者がよみがえり、罪が糾弾される」という物語ではないか。いやむしろ「歩く死体」とは、イエス復活・最後の審判のアレンジとして生まれた怪談なのではないか。だとすれば、アダムズの小説よりも真樹日佐男の怪奇実話の方が、キリスト教およびペトロに材をとったことで、そうした根本テーマがより直截に表現されていると言えよう。

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「歩く死体」が、さまざまな作家にくりかえし語られる理由。その核心にだんだんと近づいてきた気がする。
 この話が人々を惹きつけるポイントは、おどろおどろしい怪奇色や、謎解きミステリーめいたオチではない。隠したはずの罪が、死者=超越的な視線によって暴かれてしまう恐怖にこそあるのだ。
 その点は、キリスト教に馴染みの薄い日本人にしても変わらない。「お天道様」や「閻魔大王」「三尸(さんし)の虫」に悪行を見抜かれるという罪の意識、たとえ他人に目撃されずとも超越者の眼差しを気にしてしまう心情は、じゅうぶん理解できるものだからだ。
「歩く死体」においては、神様・お天道様の視線が「無意識」にとってかわっている。ここで罪を暴くのは神ではなく、無意識の中にいる「自分の知らない自分」である。1890年前後といえば、ようやくフロイトが精神分析治療を行いだした時代。しかし当時、けっして都市部とはいえないニューヨーク州の山あいにおいてさえ、すでにこのような都市伝説がささやかれていたのだ。
 科学精神が浸透してきた当時の人々にとって、そちらの方がリアリティを感じられたのだろうか。もっとも、「神」から「無意識」へと説明が変化したにせよ、そこで怖れられているのは同じ「他者の視線」なのだ。超越的に遍在する、けっして逃れられない視線に、自らの罪を暴かれる……といった恐怖であることに変わりはない。

 そういえば「歩く死体」には、「無意識」とは別にもうひとつ罪を暴くものがいるではないか。なにしろ罪人と裁判官を一人二役で行っているのだから、真相解明にはもうひとつ別の「他者の視線」が必要だ。
 言わずもがな、客観的記録を残すための諸々のツールである。それはテクノロジーの進化にともない、手書きのメモから写真機、そしてビデオカメラへと変遷していった。「自分」の罪を暴く「自分の知らない自分」。そんな「自分の知らない自分」の行為を暴く「記録媒体」……。どこまでも追いかけてくる「他者の視線」からは、もはや逃れようがない。
 ここで再び、「歩く死体」の語られた時期に注目しよう。1960年代に一部で知られていたこの都市伝説が、また復活し広まっていったのは……1980年代後半だった。当時の日本では世界に先駆け、家庭用ビデオカメラが普及しはじめていたのである。

 それから三十年が経った。
 ハンディカムは小型化・低価格化し、個人による動画撮影の頻度はフィルム時代の比ではなくなった。さらに動画ツールは携帯電話へ移っていき、それと並行してインターネットが世界中を覆いつくしていく。現在はもう、誰もがスマホというビデオカメラを常備し、撮影した映像を即座に動画サイトへアップできる世の中になりはてた。さらに監視カメラもまた、街中に隙間もできないほど遍在し、我々の罪を記録しようと、その瞳をこらしている。
 もう、無理なのだ。映像ネットワークとして実現した、超越的に遍在する他者の視線から、我々が逃げのびることはできないだろう。
 その前夜――家庭用ビデオカメラの普及期に夢枕獏や井上雅彦、稲川淳二らが「歩く死体」に注目したのは、こうした未来を、それこそ無意識に予感していたからではないだろうか。
 井上がふと漏らした恐怖。
「歩く死体」は「無意識の領域を通じて特定の人々の頭の中に語られてくる物語ではないだろうか」という直感は、まったく正しかった。確かにあの怪談は、映像ネットワーク世界の始まりを告げた1980年代後半の日本でこそ、語られるべきだったのである。(敬称略)