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vol.1 人面犬――吉田悠軌の異類捜索記

 夕暮れの路地裏を歩いていたら、ふいに物音がした。
 ゴミ捨て場で食い物をあさる、野良犬の後ろ姿だ。ふざけて小石を投げつけてみると、犬がゆっくりこちらをふり向く。
 その顔は、人間そっくりではないか。
「……ほっといてくれ」
 疲れた中年男のような表情でつぶやくと、犬はすたすた歩き去っていった。

 20世紀後半は、年代末になるごとに新たな怪奇譚が流行したものだった。1979年には口裂け女が、1999年にはノストラダムスの大予言があったように、1989年のオカルト・トピックが「人面犬」なのは間違いない。翌90年にかけて日本中で大流行したこの噂は、現在もしばしば都市伝説の典型例として取り上げられる。
 もっとも当時の日本に、「都市伝説」という用語はまだ定着していなかった。この言葉が一般社会に登場したのは、J・H・ブルンヴァン『消えるヒッチハイカー』の訳書刊行に際し、大月隆寛らが「Urban Legend」の対訳としたのが始まり。それが1988年なので、さすがに出来たてホヤホヤに過ぎたのだ。
 ただもちろん当時の我が国でも、似たような視点が皆無だった訳ではない。「都市部の若者や子どもたちがささやく現代的な噂話」については、メディアや知識層の間で、新しいコンテンツとして注目する気運が高まっており、それらはしばしば「ウワサ」なる枠組みで言及されていたのである。
 だから本稿でも、人面犬を語る際には「ウワサ」という言葉を使うことにしよう。

 ’89~’90年当時に9歳だった私は、人面犬ブームど真ん中世代といえる。ただ記憶をさかのぼってみれば、私も周囲の子どもたちも、人面犬についてはなんとなく「嘘のウワサとわかりつつ、さも本当のように語りあう」ゲームを楽しんでいたような気がする。本気でその存在を信じている子など、どれだけいただろうか。
 例えば、ちょうど十年前に流行した「口裂け女」に比べると、子どもたちの恐怖の切実度は低かったはずだ。なにしろ初期の口裂け女は幽霊でも妖怪でもない、「子どもに危害をくわえる」「本当にいるかもしれない人間」だったのだから。あくまで設定上にせよ、彼女は超自然の存在ではなく、この社会に実在する「ひとさらい」の一人だった(これについてはまた別の回で詳述する)。
 その点、人面犬は基本的に無害で、怪談としても「人の顔をした犬を見る」だけの小粒なもの。私たち小学生だって、マスクをつけた大女ならともかく、人の顔をした犬がいるはずがないことは、とっくに承知していた。まあ、その小粒感が当時の「ウワサ」というフォーマットにちょうどよいサイズだったのだろう。

 とはいえ人面犬のウワサは、後の都市伝説とはまた一線を画す、奇妙な特徴を持っている。
「このブームを広めた仕掛け人がいる」と明言されている点だ。それも「口裂け女の噂は、米軍が口コミの速度を調べる実験として、わざと流したもの」といったような、一見もっともらしいけれど怪しく無根拠なデマ、「都市伝説についての都市伝説」とはまったく違う。確かにウラのとれる資料と証言が、はっきり残されているのだ。
 その代表格であり、自らも人面犬ブーム仕掛け人を名乗っているのがライター・石丸元章。彼は「クイック・ジャパン創刊準備号」(1993年7月刊)にて、人面犬ブームは自らが起こしたものと暴露している。

 人面犬なんて存在しないんだから、実際。
 なぜ? 「人面犬」が存在しないって言いきれるか?
 そりゃカンタン。だって、コドモたちが知っている「人面犬」は、ボクが作り出した「物語(ウソ)」なんだから。

 石丸は編集者・赤田祐一とともに雑誌「ポップティーン」で特集を組み、様々なメディアにコメントしていくことで、人面犬を「単なる“コドモのウワサ”から“コドモ社会の出来事”にデッチあげる」実験をしたのだという。
 確かに、この「実験」については紛うかたなき事実だろう。
 赤田祐一の述懐によれば、ポップティーン9月号(発売は8月1日)に「ちっぽけな記事で"人面犬"を紹介したんです。ところが、それが大反響になって、全国から情報が寄せられるようになったんです」(「微笑」1989年12月30日号)のがそもそもの始まり。
 ただし彼ら自身も言及している通り、「人面犬」そのものがオリジナルの発明だった訳ではない。その仕掛け以前からも、草の根的に人面犬のウワサがささやかれていたことは注意しておこう。つまり石丸たちの狙いは、その他大勢のウワサのひとつに過ぎなかった人面犬に着目し、煽り立て、人為的な大流行へ育て上げるところにあったのだ。
 若者たちの反応に注目した石丸・赤田は、1989年9月20日放映のフジTV「パラダイスGoGo!!」にて人面犬のウワサを紹介。おそらくこの放送こそが、人面犬を全国区にまで広めたキッカケとなったはずだ。雑誌メディアも血気盛んな時代とはいえ、やはり当時はテレビの影響力こそが凄まじかっただろう。また半月後、TBSラジオの深夜番組「スーパーギャング」(1989年10月10日放送)で人面犬に触れたことも、若者への情報拡散に寄与した。
 これらの番組放送直後から、人面犬を見たという数十件の読者投稿が、石丸の関わる「ポップティーン」「投稿写真」に寄せられたという(「朝日ジャーナル」1990年1月5日号)。
 そしてポップティーン’89年12月号(発売は11月初旬)にて、「これが“人面犬”の正体か!?」と映画『SF/ボディ・スナッチャーズ』に登場する人面犬のスチール(現在でも人面犬の紹介によく引用される写真)を掲載。読者に大きなインパクトを与えたのを皮切りに、同誌は翌年1~3月号まで続報ページを割く。さらに『完全リポート THE人面犬』なるオリジナルビデオまで販売(JVD、1990年3月発売)するという猛プッシュぶりがうかがえる。
 石丸たちはあの手この手で、人面犬を世間に注目させる戦略を展開。そして彼らの目論見通り、日本中がこの怪物のウワサに沸きたった。
 ――といったところが、事の真相なのだという。
 
 こうした点から、人面犬はその他の都市伝説と差別化されがちだ。無辜の大衆が口コミだけで広めたものではなく、才知に長けたライターと編集者によって人為的に成長させられた、一種の社会実験ではないか。これを純粋な(?)ウワサ・都市伝説と捉えてもよいのだろうか……と。
「実験」ということなら、もう一人の人物についても触れておくべきだろう。石丸とは別ルートで、人面犬の仕掛け人とされた男性。放送作家のYAS5000(やすごせん)である。
 当時、大学生だったYAS5000、および彼とお笑いコンビを組んでいた相方は、噂話がいかにして伝播するかの社会調査を行っていたという。そこで選ばれた手法が「人間の顔をした犬を追いかけているが、見なかったか?」と聞いてまわるというもの。後年、放送作家となったYAS5000は、活動をともにするお笑いコンビ・爆笑問題にこの思い出を語る。
 そのエピソードがさらに、TBSラジオ「爆笑問題カーボーイ」1998年8月4日の放送中、爆笑問題・田中裕二が言及することで、世間に広く周知されたようだ。残念ながら私は当該部分を聴取していないが、信頼できる情報として、ブログ「ハイビスカスと青い空 忘備録」のカプチーノ氏が、録音から書き起こした文章を公開している。

 人面犬って嘘なんですけど、人面犬っていうものを意図的に噂を流した人を僕は知ってるんですよ。実はYAS5000の昔の相棒なんですよ。昔、YAS5000が環境改善センターっていうコンビを組んでいまして、大学の後輩の西村くんという人ですが、西村くんが人物研究会っていう早稲田のクラブに入ってまして、噂がどう流れるかっていう実験をしたんですね。
 白衣を着ていろんな小学校に行って、生徒に「実は人間の顔をした犬が研究所から逃げてしまったんだけど、君たち見なかったですか?」って聞いたの。そして一年後、人面犬ってのが大ブームになった。すごいよね。 

 このエピソードを裏付けるような状況証拠も、また別に存在する。ポップティーンに連続掲載された人面犬ニュースの最終回。’90年3月号、中野区中野新町に人面犬のポスターが貼られている現象を伝えた記事だ。

ポップティーン90年3月号1


 手描きの人面犬イラストとともに「注意!小動物(あなたのかわいいペット)におそいます。注意です! 医療法人神田川実験病院 医学博士 徳山進三」と注意喚起する怪ポスターが紹介されている。ポップティーン編集部が調査したところ、大学で人間行動学を研究するグループから「地域でどのように見られるのか? を調べるために」ポスターを貼った、との連絡があったという。
 視点は逆ながら、まさに爆笑問題が語っていた内容と酷似しているではないか。両者を結びつける直接の証拠はないものの、ここまで特異なシチュエーションが一致したならば、偶然と片付ける方が不自然だ。取材された学生グループ内に「西村くん」が参加していた、と考えるべきだろう。
 爆笑問題が誤解しているように、人面犬そのものが西村くんやYAS5000の創作だった訳ではない。当時広まりつつあったウワサを、実験の材料として選んだだけだろう。ただ、ここで注目すべき点がふたつある。
 ひとつは、作為的に嘘の情報を流した彼らの実験が、ポップティーン誌に取り上げられることで、元々あったウワサを補強するかたちにフィードバックしていったこと。この「人の顔をした犬を調査しているというチラシ・ポスターが流布した」というエピソードは、その後も人面犬の話題でたびたび参照されている(たとえば漫画『地獄先生ぬ~べ~』の人面犬回など)。
 さらに考慮したいのは「人面犬は、筑波大学の研究施設でつくられた実験体が逃げ出したもの」というウワサへの影響だ。しばしば言及されるこの設定も、件の社会実験活動がキッカケとなって生まれた可能性は大いにありうる。
 石丸ほどではないにせよ、「西村くん」および相方であるYAS5000もまた、人面犬というウワサの形成に関わった一人に数えても間違いではないだろう。

 さて、この怪ポスターについての記事が載った’90年3月号記事には、また別の注目点がある。同記事において、石丸元章が「さらば!人面犬」と捜索活動の終了を宣言していることだ。その理由は、もはや人面犬のウワサが自分たちの手を離れ、メジャーな社会現象へと成長しきったから、というもの。自らが育てたウワサが、メディアに消費され、一般人に広く浸透し、学生グループの実験体にまで選ばれたところで、引き際の潮目を感じたのだろう。人面犬はもう、石丸をはじめとした先進的メディア人にとって、熱中できる材料ではなくなった。
 さすがに大塚英志は、このあたりの事情に敏感だったようだ。これとほぼ同時期の論考にて、大塚はポップティーンの誌名を何度も出しつつ「もしかすると〈人面犬〉という名称を商標登録してキャラクターグッズ企画しているやつがどこかにいるかもしれない。いやほんと、実はこれ100%冗談ともいえない話なのだ」「どうもぼくには誰か背後にプロデューサー役がいると思えてならないのだ」と指摘。さらに末尾を、こんな一文で終わらせている。
「……全部、嘘だって(笑)」
(『思想の科学』1990年4月号)。

 それから三十年後が経った。
 当時を小学生として過ごした私も、人面犬についての資料をあさり続けるうち、一連のお祭り騒ぎを追体験するような感覚を覚えた。そこで頭に浮かんだのは、良くも悪くも「ゲーム感覚」という言葉だ。
 日本に「都市伝説」という言葉が輸入された翌年、この目新しいジャンルの実験体として選ばれたのが人面犬だった。1989年の日本には、未知の怪物などおらず、人知を超えた怪談もありえなかったようだ。それらはただのネタ、コントロール可能なサンプルであり、現代社会を反映する研究材料でしかなかったらしい。
「……全部、嘘だって(笑)」
 確かに。言われてみれば、小学生の私たちも、あの嘘っぽさは肌に感じとっていたかもしれない。さすがに大塚のように「背後にプロデューサー役がいる」とまでは気づかなかったにせよ、テレビ・雑誌など大手メディアが、共犯感覚で人面犬ブームを騒ぎ立てる「ノリ」くらいはわかっていたような。そして私たち自身も、「まあ、せっかくだから乗っかってやるか」という醒めた意識で、クラスの話題にしていたような。そんな気もする。
 人面犬については、こうした人為的な仕掛けばかりが注目されてしまう。そのため元々あった「人面犬の怪談」について言及されることは、ほぼ皆無である。というよりも現在では「メディアによって創作された妖怪・怪談なんだろう」という認識が多数を占めているかもしれない。
 しかしあの怪物は、本当にそんなちっぽけな存在だったのだろうか?
 ただバブル期の陽気なシミュレーションに利用されただけの、あわれな実験体に過ぎなかったのだろうか?
 それは軽視し過ぎというべきだろう。1989年よりも前、つまり石丸たちの仕掛け以前にも、人面犬を語る人々はいた。それはなにも「江戸時代から、人の顔をした犬のウワサはあった」などという大ざっぱな話ではない。我々の知る人面犬と直接つながる個体が、確かに日本の片隅に生息していたのだ。
 おそらくメディアに取り上げられた最初の報告は、「微笑」1982年7月19日号「私は見た! 恐ろしい“人面の犬”」だろう。房総・湘南・伊豆・日本平などで、関東のサーファーたちが人面の犬に遭遇しているとの情報が紹介されている。また面白いことに、この時点ですでに「人面犬」の名称が使われていたのだ。

 車がカーブを曲がると、突如として犬の後ろ姿が現れた。道路のセンターラインのところに"おすわり"をしていたのだった。車が犬のわきをすりぬけようとした瞬間、後部座席から「エ!? ウ、ウワーア!」と悲鳴があがった。
 からだはどこにでもいる犬だが、顔が人間だったのだ。
 目は細く切れ長、キビをひねって車の中を見上げるようにし、一瞬ニヤリと笑った。 
 現場は伊豆・下田・石廊崎に向かう海岸道路、白浜の5~6キロ手前の地点。ことし4月13日午前4時ちょっと前のことだったという。

微笑1982年7月19日

 同記事では、他にもいくつかの目撃談が報告されているが、細かい年月や地域が特定されているのが興味深い。取材対象者は本名で顔も身元も明かしており、かなり信憑性の高い証言だといえる。
 おそらく人面犬のウワサは当時、神奈川~静岡太平洋岸にて、サーファーの怪談として発生したのだろう。サーファー愛好者たちは、暴走族・走り屋・釣り・登山などと同じように、社会から一歩離れたクランを形成している。そうしたコミュニティでは独自の文化が生まれ、「釣り怪談」「登山怪談」など独自の怪談が生まれるものだ。
 そのうち、同時期に走り屋たちの間で有名だった怪談「よつんばい」(よつんばいになった女が猛スピードで車・バイクを追いかけてくる)の影響も受けつつ、道路を高速で走る人面犬のプロトタイプが形成していった……。あながち、的外れな推理ではないと思う。
 これについては石丸も、自身が仕掛けたブーム以前に届いた目撃報告(つまり1989年秋より前)には、神奈川・静岡からの投稿が多かったと述懐している(「朝日ジャーナル」1990年1月5日号)。
 その他、ウワサが全国規模になる前の投稿で、場所が特定されているものを確認すると、「房総の浜野」や「久能山」など千葉・静岡の太平洋海岸沿いのバイパス・高速道路付近であることがわかる。これらは’82年の「微笑」人面犬目撃マップと、ぴったり一致するのだ。
 さて、この「微笑」記事を石丸が確認しているのは、「朝日ジャーナル」記事内の参考資料に挙げていることから明らかだが、さらに5年後の二つの記事も読んでいただろうか。
 1987年夏、「プレイボーイ」「女性自身」にも人面犬が登場しているのだ。前者はまだ記事タイトルに「人面の犬」とあるので検索できるものの、後者になると小見出しにしか「人面」「犬」の表記がないため、記事検索にもひっかかりにくい。

 その日も車で東名を小田原で降り、箱根新道で峠越えをしました。(略)湯本の手前で国道1号を左折し、箱根新道に入ったころ(略)目をこらしてみると、野犬のようです。こんな人里離れた山道に犬なんているのか。私は思わずアクセルを深くふみこんでいました。
(略)スピードメーターの針は70キロ! 桎梏の闇のなかを目をギラつかせて追ってくる犬。
(略)錯覚ではありません。確かに人間の顔をした犬は振り向きざま、ニヤーッと笑ったのです。思わず急ブレーキを踏んだ私の車の横を、"人面犬(じんめんいぬ)"は黒い疾風のように駆けぬけ、闇のなかに消えて行きました。峠道の事故死した若者の霊が野犬にとりつき、人面犬が出没するという噂を知ったのは、それから数ヵ月後のことです。
(「プレイボーイ」1987年6月30日号) 

プレイボーイ1987年6月30日

 愛車スカイラインを運転して、箱根越えをし、東名高速道路に入るため、御殿場ICに向かっていた。(略)
「そろそろ御殿場のICに近づいたときでした。うしろでギャーンというか、ウォーッというかうなるような音が聞こえてきたんです」(略)
「犬なんですよ、犬! ええ、かなり大きな犬で、それが車の横にピッタリとついては知っているんです。変な犬だなと思いながら、スピードをあげようとした瞬間、犬が横っ飛びに、ボンネットの上に飛びあがってきたんですよ。
 そして、こっちを向いた犬の顔を見たとき、アッと……。人間の顔なんですよ。それがこっちを見て、ニヤッと笑ったんですよ」
(「女性自身」1987年9月8日号)

女性自身1987年9月8日

 怪しいウワサについての記事ながら、情報の特定についてしっかり取材がなされている。そこは現代のメディアが「都市伝説」と接する時の、信じるか信じないかはあなたしだい……という態度とずいぶん違う。「微笑」にいたってはこの七年後、同じ目撃者を追加取材までしているほどだ(1989年12月30日号)。
 都市伝説とは違い、体験者が特定されている「実話怪談」でも、ここまで複数の証言者が揃い、現場が明記されているケースは珍しい。根も葉もないウワサ、つくられた都市伝説と思われがちな人面犬だが、実は口裂け女よりもよほど確かな証拠が存在していることは、声を大にして主張すべきだろう。
 そしてこれらの目撃談には、注目すべき共通項がある。人面犬の目撃情報が、すべて「伊豆半島」エリアであるという点だ。おそらく人面犬とは、伊豆半島北側を中心とした、ローカル怪談のひとつだったのだろう。
 このあたりで、たびたび「人面犬」が出没していたのは事実だったと考えられる。それはもしかしたら、超自然の怪物ではなく、ただ人の顔そっくりの老犬だったかもしれない(いやに人間くさい面構えの犬というのは、たまにいるものだ)。とにかく、当地を訪れる若者たちの間で、「人面犬を見た」という恐怖の怪談がささやかれていたことは間違いない。
 数年後、そのローカル怪談は全国区にのしあがっていった。これについては石丸を代表とするメディアの仕掛けがあったのは事実だ。時代のタイミングもあり、その仕掛けはやけに上手くいってしまった。
 しかしだからといって、人面犬の目撃譚が、人面犬という存在が、メディアによってつくられたフェイクだと結論づけてはならない。
 私は自信を持って断言する。
 日本に「都市伝説」という言葉が輸入される直前、つまり昭和の終わりの数年間だけ、伊豆半島の片隅に。
 人面の犬は、確かにいたのである。

 しかしそれは89年に「ブームの仕掛け」のため利用され、メディアや世間に消費され、研究のための情報材料にまでなってしまった。こうなってはもはや、人知を超えた怪談もなにもあったものではない。
 この時点で日本人は、怪談・オカルト的なるものを完全に凌駕し、コントロール可能としたのだろうか。
 いや、そうではなかった。
「さらば!人面犬」と、石丸が決別宣言したポップティーン1990年3月号。その号にはまた、とある宗教団体の記事が、面白おかしい論調で掲載されている。
 麻原彰晃の空中浮遊写真と、オウム真理教に入信する若き十代女子たちへのインタビューである。彼らはこの数年後、怪談的・オカルト的なるものを現実に召還しようとした末、ついに地下鉄サリン事件へと行き着いた。
 人面犬をほんの少し飼いならしたところで、怪談の闇を、オカルトの暗黒を消し去ることなど、誰にもできなかったのだ。       (敬称略)